【雑録】病床にて自らを見つめ直す

雑録

こんにちは。チカです。
半年ぶりに持病が悪化して1月末に1週間程度入院生活をしていました。

一日の大半をベッドの上で過ごす日常は退屈…と思いきや、いい刺激を貰う機会になったのでメモがてら残しておこうと思います。

高みを目指している人は美しい

入院中に一体何に刺激を受けたのかというと、一言で言うと「高みを目指している人の美しさ」。

正直に言うと、入院決まったときはそりゃ凹みました。前回の入院で退院後の治療を強化していたので、そうそう入院なんて無いよね〜、って思ってましたし。それがまさかの半年後、全く同じ症状で入院。前回の退院後、だんだん薬を減らしていく中で先生も気にかけていたので、コレは怪しい?って思って相談したら案の定…でした。くさくさした気持ちでいっぱいになり、自分の体にも、これからの山にも自信を無くしていました。

それがこの数日で持ち直せたのは元からの自分の楽観的な性格ゆえか?いやそれともそもそもそんなに深刻になる必要などなかった…?とも思いますが、この入院生活がある意味強い動機づけになったのは事実です。

「アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由」を読むうちに

急な入院でしたが、夫が急いで色々と必要なものを持ってきてくれるとのことだったので、その中に「山野井さんの本入れておいて」とお願いしました。何ヶ月か前に表紙をめくって、なんか面白そうだなっと頭の隅にあった本。

夫が家から持ってきてくれた荷物からゴソゴソと本をとりだして、「はいっ」と2冊手渡してくれました。「アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由」山野井泰史著と分厚いラインホルト・メスナーの自伝。てっきり山野井さんの本を2つ持ってきてくれると思ってたら予想以上に重たい本がやってきて引きました。笑 腐るほどある時間をコレで埋め尽くしなさい、という重たい愛と受け止めつつ、「でもちゃんと持ってきてほしかった本はある…」と内心ニコニコで、まずは読みたかった「アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由」から手に取りました。

要は、「山野井泰史はどうして死地から帰ってくることができたのか」ということについて、生々しい山行の記録と、それに対する振り返りや考察等内面的なところとをあわせて、メッセージを伝えられないか、という本。

自分の中で一番ハッとさせられたのが、「常に今の自分の限界を見極め、それに見合った挑戦をし続ける」という点。山野井泰史はギャチュンカン下山中に想像を絶する雪崩に遭いつつも自力下山し、その代償で手足の指を切断することになりました。夢見ていた壁には登れなくなっても、再び山を歩き始め、高所登攀に復帰しました。その後早朝のランニング中に熊に襲われて鼻の呼吸がほとんどできない状態になり、高所登攀を諦めざるをえない状況になっても、今もなお別のスタイルで山に向き合い続けています。その姿に自分を当てはめるなんて全くおこがましいですが、持病があることを言い訳にしていないか?今、茅野で、ひとつ大仕事を終えたことに安堵していないか?と叱咤激励している自分がいることに気が付きました。

なにより、山野井泰史の山に対するひたむきな生き方、その域に達することのできる一握りの人間に恐れ慄きました。

病院で働く方々を見て

さて山野井さんの本ですっかり感受性が高くなってしまった状態の中、日々接するのは病院で働く方々。些細な気遣いが普段以上に深く染みました。特に看護師さんは常に全方位に気を張っていて、それに与る私はまったく頭が上がりません。

病床で自らの病気のことを調べていると、「八方塞がりか」と思う記述があり、先生と今後の方針を相談しようと思っていた矢先、新しい治療法について打診があって、自分の愚かさ(無知さ)に恥ずかしくなりました。

医療に精通した専門家であること。私の状況が特殊だという点もあり、治療の最適解は何かをじっくり見極めてくれること。最新の技術を追い続け、そして追い求め続けること。
命という一番大切にしなければいけないものを守るために、日々研鑽を怠らない人の美しい姿を見ました。

医療でなにかを突き詰めることは私にはできないけれど、山に関してはもっと自信を持ちたい。
窓から見える朝焼けの守屋山や、夕焼けに染まる八ヶ岳の姿を眺めながら、心が強くなりたいと言っているようでした。

自分が山に入って一番夢中になれる時間

次に手に取った本が店のカウンターで読みかけのままにしていた本、「百年前の山を旅する」服部文祥著。(入院翌日に夫がいっぱい本を持ってきました。笑)
こちらは2年ほど前に買って、その時すぐ読み始めたらとても面白くて一気に半分くらい読んで、お店のカウンターに並べて手に取ってもらおうと思っていたらそのまま時が経過してしまっていました。この本も「そういえば続き読みたいな」くらいの気持ちで読み直しはじめました。

「百年前の山を旅する」は過去山を歩いてきた人の足跡を辿るという紀行文で、コレが本当に私の好みの本で。多分、親に連れられて渓流釣りやらきのこ採りに出かけていたり、近所の草むらを一人で走り回ったりコンクリートで埋められてない土の側溝で生き物を探しづづけた幼少期があるからですが(今ではそんなことができる場所も少なくなりました)、自分自身、自然と調和するのが好きなんだと思います。(一方でテクノロジーを捨てきれない自分もいます。)
サバイバル登山家を名乗る服部文祥だからこその紀行文ですが、特に仮説を立てて現地で調べていく山行スタイルがとても刺激的で面白かった。その中でも「黒部奥山巡りの失われた道」という章は何度も地図と文章を行き来しながら読んでいました。こんなふうに山の弱点を上手く抜けていけるのか…と脱帽し、昔の人の山に対する能力の高さに敬服しました。そしてその道を現代の考え方から抜け出して客観的に見て探し出す作業をする服部文祥もすごい。

昔の人の足跡をたどることも、昔の人がみた景色を自分が見ている瞬間も、なにもない雪の中でただただ寒いと言って過ごすことも、廃道をあれこれ探して里山を歩くことも、自分の中でかけがえのない時間だったと振り返ってみるとそう思います。私は、普段の生活では得難くなった自然との一体感を山で求めていたんです。

そして読み進めているうちに、2冊の共通点が私なりに見えてきたんですね。

アルピニズムと、道具と、夢


「人は、死に近づくことで生を実感できる。登山という行為の面白さ、真髄はそこにある。」自分の限界を引き上げて、さらなる厳しい環境にチャレンジすること、そのレベルがちょうど死に近づいて、ギリギリ帰ってこれるラインであるときに人はこの上ない生を感じることができる。ということを両者とも述べています。服部文祥は上田哲農(てつの)「ある登攀」に書かれているアルピニズムに影響を受けたとも述べています。山野井泰史の山にはどこか死がつきまとっていて、そしてその山から生還している、まさに「ある登攀」に述べられているアルピニズムを体現したかのような生き方。
その境地に立てる人間は自然とそういう考えに至るのか。自分にはどうあがいても理解できない境地ですが(そこに足を並べるつもりなど毛頭なく)、厳しい環境にあえて身を置いて、達成できたときの快感はクライミングや雪山登山では特に大きいですし、「間違えたら死ぬな」と思うこともままあります。

人間の持てる最大の力と、厳しい環境に対応するための(いわゆるスペックの高い)道具が組み合わさることにより達成できる域がある、そしてそれはどちらが欠けてもいけない。道具の本来の能力を最大限に引き出すためにはそれに見合った技量が必要。お前はその道具を使うに値するのか?と二人に問われた気がします。
そして挑戦し続けること、そのうえで生きて帰ることへの意味も深く考えされられました。茅野で、山に、山の道具に携わる仕事をすると決めた以上、自らが使う道具に対して責任を持って、その道具に見合う自分で山と向き合い続けたいと思います。

そういえば、お世話になっているガイドさんもおっしゃっていました。「最高の技術と最高の道具が最高のクライミングを導く」と。そしてその言葉はそのガイドさん自身、師匠からそう言われた、とも。私もその言葉を直接聞いてしまった以上、続く思いを私なりに体現したい。

自分が思い描く「心から面白いと思う」理想のルートをその時の自分の最大限の力と見合った道具で踏破したい。それが今の自分の夢です。まだ先は長いですが、一年一年研鑽を続けて、胸を張って「面白い山を歩き続けたぞ」と言えるようになります。

まあとりあえずは重たい愛を読み終えるところからですかね。笑

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